私の人生は、
英語によってとても大きな世界に開けた、
と感謝しています。

TVプロデューサー/ディレクター

福原 顕志 さん

Kenshi Fukuhara

私は現在、ロサンゼルスを拠点に、テレビ番組のプロデューサー/ディレクターをしています。自らの企画や日本のテレビ局からの依頼に基づいて、アメリカで日々取材をし、日本の視聴者に向けて映像と情報を発信するのが仕事です。主にドキュメンタリーや情報番組、スポーツ中継を制作しているので、日常的に英語でニュースを見聞きし、新聞や雑誌を読み、ネットで情報を集め、取材相手と交渉し、英語でインタビューを行う、というのが仕事の内容になります。英語は私にとって、今や必要不可欠なものです。でも、私も英語で苦労したひとりです。どうやって今に至ったのか、遡ってお話します。

大学2年生の春、私はアメリカ、ワシントン州の田舎町にある州立大学に留学しました。バイトで貯金したお金での自己負担の留学なので、一年分しか費用が出ず、限られた期間で精一杯英語に触れようと思いました。憧れのアメリカ。でも渡ってみれば、相手の話している英語がさっぱり聞き取れません。マクドナルドでさえ、メニューの写真を指差して注文するのがやっとでした。読み書き主体の受験英語は何の役にも立たず、私の自信はズタズタに引き裂かれました。

聞き取れない、言い直しても通じない、アメリカ人と対峙するのが怖くなる…そんな悪循環が続いていた頃、あることに気付き始めます。きっかけは、他の国からの留学生が与えてくれました。当時私はアメリカ人と話すとき、完璧な発音をしないと通じないのではないか、と萎縮し緊張していました。それが、アジアや中東からのクラスメートたちと話すときは、比較的リラックスして話せるのです。それは、お互い外国語である英語という手段を通じて理解し合おう、という気持ちがベースにあるからだと思いました。少々発音が悪くても、相手は聞き取ろうと努力してくれるし、こちらも一生懸命伝えようと努力します。それに気付いてから、私の英語への考え方は一変します。学生時代、英語は学ぶ科目の一つ、すなわち学問でした。なので、よく勉強できれば優秀だし、できなければ無能、と考えがちでした。その意識から、アメリカ人と対峙して、彼らの半分も英語を話せないとき、自分は彼らよりも劣っているように、思ってしまいます。しかし、英語はコミュニケーションの道具に過ぎない、と気付いてからは、むしろ「他の言語を話せないアメリカ人のために、私達があなたの言葉を使ってコミュニケーションをしている」というくらい大きな気持ちで構えるようになりました。それ以来、アメリカ人に向き合っても、臆することなく、堂々としていられるようになりました。それから、私の会話力は徐々に伸びて行ったと思います。

留学中にもう一つの出合いがありました。それは映画です。英語の聞き取りの練習のためにも、毎週のように映画館に通いました。でも、最初は内容の半分も分からず、フラストレーションは溜まる一方でした。面白いのはアクションシーンだけで、会話主体のシーンになるとついていけなくなり、終わった後は疑問ばかりが残りました。コメディーでは、周りのアメリカ人が笑う中、ひとり笑うタイミングを逃し悔しい思いもしました。それでも通い続け、留学が終わるまでには、おそらく7割くらいは映画の内容は理解できるようになっていたと思います。これは諦めずに何度も繰り返し映画を見続けた結果だと思っています。

そうして、一年間のアメリカ留学を終えた私は、大学を卒業しNHKに就職しました。日本で4年間ディレクターを勤めた後、転勤をきっかけに辞職し、単身アメリカに渡り、現在、自らプロダクションを起業しTVプロデューサー/ディレクターの職に就いています。アメリカでこの仕事を再開して19年になりますが、今も勉強の毎日です。

アメリカだけでなく、ヨーロッパやオーストラリア、アフリカなどへも遠征します。そして、国が違うと実に様々な人間模様や考え方があると、気付かされます。そんな時、留学時代に他国の留学生と初めて心を通わせて話せた、あの感動が蘇ります。英語を介することで、世界中の色んな人と出会い、実に色んな人生に触れる事ができました。私の人生は、英語によってとても大きな世界に開けた、と感謝しています。

英語を学習したいあなたへ多くの貴重なメッセージです!

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このように、英会話ができるようになると、まったく次元の違う人生が開けていくのです。