運は信じるから味方につくもの

山本 デービッド(David Yamamoto)さん (プロ野球 国際スカウト)

アメリカ、ロサンゼルス生まれ。幼少より日本人学校に通い、英語と日本語のバイリンガルとなる。 Purdue Universityに在学中、奨学金にて広島大学へ留学。 卒業後はバイリンガルの能力を活かしてロサンゼルスの貿易会社に就労したが、大きな転機が訪れ、日本人メジャーリーガーの通訳・マネージャーに転職。 選手の帰国に伴い、能力を高く評価されて、日本の球団からの誘いで国際スカウトに就任。 現在は、アメリカにて常に優秀な外国人選手を探している。

(自分)

私は現在、日本の球団の国際スカウトをしています。 つまり、アメリカにて外国人の選手を探す職業です。 昨年までの2年半は、メジャーリーグにて日本人選手の通訳・パーソナルアシスタントをしていました。

私自身は高校まで野球をやっていて、プロの野球選手になる夢から脱落した1人です。 野球は私の全てでした。 高校ではアメリカ選抜に選ばれた事もあり、夢が叶う実感を感じた事もありました。 しかし、肩を怪我してからは、ほぼリハビリの毎日。 結局、最後のシーズンを無難に終えて、プロへの夢は諦めました。 当時は「野球の神様」を非常にうらんだ記憶があります。 正直、私は一生グラウンドにいたい人間でしたので、悔しさでいっぱいでした。

高校を卒業し、アメリカのIndiana州にあるPurdue Universityへ通いました。 具体的に自分は何をしたいのか分からず、1年が過ぎた頃、最初の大きなチャンスがやってきました。 それは文部省の国費留学でした。 大学の先生に進められて応募したため、当時はまったく受かるとも思っていなく、正直、無駄だと思ってました。 ところが、応募した2000人の中の最終20人に選ばれ、驚くと共に、ここまで来たら絶対にチャンスにしてやろうと思いました。 結果的にシカゴの領事館での最終審査で私が選ばれることとなり、日本への貴重な留学体験が出来る事となりました。 この時、なぜ自分が選ばれたのか不思議で仕方なかったのですが、きっと、完全なバイリンガルであるということが決め手だったと思っています。

大学を卒業してからは、ロサンゼルスに戻り、貿易会社で働きました。 バイリンガルという強みを活かして仕事をしたかったからです。 しかし、入社はしたものの、想像していた仕事とは全く異なり、私の中では進むべく方向の分からない場所に迷いこんだ気持ちでした。 そして、自然とプロ意識が持てなくなっていました。

そうこうするうちに、貿易会社で3年の月日が経ちました。 そんな頃、再び大きなチャンスがやってきました。 日本人メジャーリーガーが、通訳兼マネージャーで野球能力の高い人間を探しているとのことでした。

私は選手と代理人との面接で、自分の熱い気持ちと、今までの経験を素直に話し、そして、夢も語りました。 自分のハートの中には、いつも野球を諦められない自分がいました。 しかし、いったん離れた野球界は、既に雲の上の世界となっており、もう二度と関る事の無い世界だと思ってました。 そんな強い思いを救ってくれたのは、私の野球への想いと、バイリンガルという強みでした。 そして、見事にそのチャンスを掴む事が出来たのです。

その日本人選手はメジャーで数年活躍した後、現在、日本に戻っています。 私も運良く日本の球団から誘いを受け、今の国際スカウトのポジションに就きました。 現在のスカウトの仕事も、これまでの通訳の仕事も本当に天職だと思っています。 自分とは関係の無い世界だと思ってたので、このような仕事に就けるのは不思議な気持ちと幸せな気持ちでいっぱいです。

私は、怪我を夢に届かない理由にしていたようです。 最終的には自分に実力がなかったのです。 それに気づかず、迷子になった自分を救ってくれたのは「英語」であり、「日本語」であり、「バインガル」という能力でした。 ふと気づいた時に僕に残っていたものは日本人という立場からの卓越した英語力だったのでした。 (英語力のみであれば、アメリカ人と変りません。 日本人としてのアイデンティティーをもち、日本語も英語も全く問題のないバイリンガルであるということが私の強みでした)

 

(バイリンガル)

私は多分、皆さんと逆で、生まれてまだ日本語がしっかりしていない状態からアメリカの現地の幼稚園に通い、英語が先に出来るようになりました。 そのため、今でも物事を考える時は英語が中心だったりします。

私が子供の頃、家の中では日本語でしか話してはいけない決まりがありました。 もちろん、私は英語の方が得意だったので、両親が決めたこの規則を全く理解できませんでした。 特に子供の頃は、友達の多くがアメリカ人だったので、なぜ自分だけ辛い想いをして、2ヶ国語も習わないといけないのか納得いきませんでした。

私は今年、35歳になるのですが、今は両親に感謝の気持ちでいっぱいです。 あれほど理解できなかったことが今になって全て理解できます。 あれほど嫌いだった土曜日の日本語学校や、高校での日本語クラスもすべて意味があることだったと思ってます。 ようやく、多言語をマスターすることの重要性と意義が理解できるようになったのです。

 

(幸せ)

メジャーリーグでもそうですが、日本に留学した時も本当にいい人たちと巡り合うことができました。 少しのことが運命を変えて、素晴らしい人に出会うチャンスを作ってくれていると感じています。 人は周りの人の力を借りて自分を形成しているのだと思います。 そのため、「出会い」は非常に大切なことです。 野球界に戻ってからも、素晴らしい人たちと出会えたこと、そして、彼らと共に毎日仕事ができたことはかけがえのない幸せです。 2008年は特に、私の所属していたチームがメジャーリーグで優勝し、世界一になりました。 おかげさまで、最高な幸せを実感できた年となりました。

 

(将来)

私が日々思うことは、あのチャンスが無ければ一生夢に向かうことなく、やりたくも無い仕事をしているサラリーマンで終わっていたかもしれないということ。 本当に好きな野球の世界で仕事ができているので、自分の限界を確かめて見たいという願望があります。 目標は常に高く設定しており、いつかはメジャーリーグで日本人として初のGMに就任することを夢見ています。 選手だけでなく日本人がメジャーリーグで通用することを証明し、多くの日本人に夢を与えたいと思っています。 もちろん自分ではないとしても、ぜひ日本人のGM就任は実現して欲しいと、心から願っています。

 

(語学)

目標を高く持つことはとても大切だと思います。 人間の力とはどこまで発揮されるか全く分からないものです。 夢は大きく持って、世界へとチャンレンジするべきだと思います。 世界の壁はとても高く感じるとは思いますが、WBCでの侍ジャパンのように日本人は世界で通用するのです。 やはり世界で戦っていくためには、色んな意味で「英語」が最低条件であり、かつ最も強い武器となるのではないでしょうか。 もちろん、沢山の外国語があり、多くの言語を知っているほど役立つとは思います。 しかし、世界で一番使われていて、どこの国でも比較的通用する言語は「英語」です。 1つ忘れていけないのが、今この時点で英語を学ぼうか迷ってるのであれば、既にチャンスを引き寄せているのです。 人間、いつチャンスが訪れて、人生が変わるかは分かりません。

 

(3 Motto:3つのモットー)

最後に私が日々、心の中に思い出す事です。

 

Luckとは

実力とチャンスが一致する瞬間。

 

後悔せず生きる事。

 

運は信じるから味方につくものである。