「英語は話せるのが当たり前、英語を話すことは「目標」ではなくなっていく」

カズ(Kazu)さん (小売業界最大手 スーパーバイザー職候補)

神戸生まれ。 関西大学経済学部卒業。 カリフォルニア州アーバインバレーカレッジにてビジネスマネジメントを専攻。 前職は、北カリフォルニアのサンノゼにある日本の輸入商品を販売する小売店にて、ゼネラルマネージャーとしてカリフォルニアの5店舗のマネージメントを担当。 退職後、日本に帰国し、小売業界最大手スーパーバイザー職候補として、奮闘中。数年後には海外事業部に異動し、英語を活かした小売ビジネスのキャリアアップを目指している。

みなさんこんにちは。

私は日本で生まれ育ち、22歳で渡米、2年間の南カリフォルニアでの学生生活後、カリフォルニア州ロサンゼルス、サンノゼ、サンディエゴで約7年間仕事をして、2014年の2月に帰国し、現在は京都に住んでいます。 留学するまでは、全く外国に行った経験もありませんでした。 中学校では英語は好きでしたが、高校での英語は受験勉強ばかりで、あまりいい思い出はありません。

はじめて生きた英語に出会ったのは、私が日本の大学で4年生のときに、アメリカに3ヶ月間、語学留学をしたときです。

そもそもアメリカに行きたいと思ったのは、当時、同じアパートの上の階に住んでいた英語の先生の影響を受けたこと、また、ファッション雑誌のカリフォルニア特集に刺激を受けたことが非常に大きな理由です。 この先生はアメリカに20年ほど在住していて、さまざまな会社で仕事をし、自ら起業したバイタリティーあふれる人で、非常にエキサイティングな体験を私にたくさん話してくれました。 先生の英語の教え方は受験勉強とは全く異なり、毎回塾に行くのが楽しみだったのを覚えています。 教えられたのはまず発音でした。 しゃべる、聞く、書くという順でないと英語は絶対に身につかないという考え方です。

私にとって、カリフォルニアの自由なライフスタイルが心地よいものではないかと思い、とりあえず短期でよいので、その空気に触れてきたいと、カリフォルニアの内陸にあるリバーサイドという町に、1ヶ月間英語を学ぶために語学留学しました。 そのあと2ヶ月間はアメリカの西海岸、中西部、南部の都市を次々と一人で旅行し、たくさんの街や観光名所をめぐり、人々とのふれあいを楽しみました。

この3ヶ月の滞在を終え、アメリカで仕事をしてみたいという思いが強くなり、約1年後に正規留学で再渡米しました。 私は日本で大学を卒業していたので、アメリカ内で仕事ができる権利(OPT:オプショナル プラクティカル トレーニング)を得るために、2年間、カレッジ(2年制の大学)に通い、ビジネス マネージメント(経営学)を学びました。 カレッジでの勉強は基本的にアメリカ人と一緒なので、全く油断のできない大切な時間でした。 コミュニケーションが多くて、発言の機会も多いのが、日本の大学との違いです。 授業に集中できないので、私は好きではなかったのですが、日本の大学の授業よりもはるかに身についたと思います。 また勉強だけをしていても、アメリカの文化に触れることはできないと思い、学校のベールボールクラブに1年間参加し、シーズンを通して地元の学生との野球生活を楽しみました。 カリフォルニアには日本人の学生は非常に多いですが、カレッジ、ユニバーシティ(4年制大学)で部活をしている人はごく稀です。 毎日、数時間、アメリカ人のチームメイトと過ごすことは、私のアメリカ生活を本当に楽しくしてくれました。 たわいもない話から日本とアメリカの戦争の話など、非常に深い話題もあり、アメリカ人が戦争に対してどう考えているのかも知ることができました。 一方で、特にはじめの数ヶ月は、チームメイトとのコミュニケーションに苦労しました。 というのも、やはり、彼らの話言葉はスラング(俗語)が多いため、何を意味しているのかが分からなかったのです。 授業中、先生が話す言葉と、一般的な話言葉では、かなり違いますから、ぽか~んとしていることもよくありました。

Kazu コミュニティーカレッジ 野球

Kazu カレッジで野球

 

 

 

 

 

 

このように、2年間の学生生活を英語を通じて学べたことは、非常に意義深いものだったと思います。 日本だけでなく世界中にコミュニケーションできる友人がいる(アメリカは移民の国で、多くの国から留学生が来ています)ということは、学生を終えたあとも自分の貴重な財産となっていきます。 ビジネスのチャンスにもなり得ますし、プライベートでずっと付き合っていく友人、恋人にもなり得ます。
2年間の学生生活を終え、OPTの権利を取得し、念願のアメリカでの仕事をはじめました。

私の前職の仕事は、日本の輸入商品を販売する小売店で、店長、アシスタントGM、ゼネラルマネージャーとして、世界のIT産業の中心都市であるサンノゼで主に働いていました。カリフォルニアの5店舗の経営管理を任せられ、新しいビジネス、マーケットの開拓が主な仕事で、仕事において使用する言葉は日本語と英語が半々でした。 お客さんとのコミュニケーションは英語と日本語が半々、ベンダー(取引先)とのコミュニケーションは、ほぼ英語です。 私は日本語が母国語なので、英語がわからず、辛い思いをすることがたまにありますが、日々勉強という姿勢を忘れず仕事を楽しみました。

その後、7年間勤務した会社を退職し、日本に帰国しました。学生生活と併せて9年間の海外生活の経験を日本で活かしたかったからです。現在は小売業界最大手の企業でスーパーバイザー職の候補として研修をしています。これまでの小売店舗の管理と実践的なビジネス英語の経験を活かして、いずれは、海外事業部に異動し、日本一のビジネスモデルを世界に伝えていく仕事がしたいと考えています。

今後、皆さんの中には、アメリカに留学して、そのまま働きたいと思っておられる方もおられるでしょうし、また、学生をせずに、いきなり働きに来られる方もいらっしゃると思いますが、アメリカで働きたい場合は、いつもビザの問題が付きまといます。 滞在したくても、ビザの関係で断念せざる終えない場合も多々あります。 私は、運良く学生ビザ、研修ビザを経て、ワーキングビザ(労働ビザ)を取得することができました。 ビザの取得に関しては、もちろん運もありますが、計画性を持って、また、自分がやりたいことを明確にしていれば、結果はおのずとついてくるのではないかと思います。

海外生活を一旦終えて、10年が経ちました。しかし、今まで築いてきた人とのつながり、また、これからできるであろうつながりを人生の宝物ととらえ、自分にとって、“英語をつかえること”が最大の武器になるだろうと確信しています。 あと数十年も経たないうちに、日本に住んでいる人も含めて、更に多くの人々が英語と日本語の両方を日常的に話す日がくると思っています。  そのとき、「英語」は話せるのが当たり前であり、「英語を話すこと」は皆にとって、「目標」ではなくなります。 さらにもう一段階上のステージ、「英語をツールとして何をするか」が問われる世の中がすぐに来るはずです。 そのためにも「英語を習得すること」は皆さんの人生に非常に大きな影響をもたらすのではないかと思います。

Kazu コミュニティーカレッジ 野球